秋冬の味覚 焼き芋

  • 副院長ブログ
20時頃かなぁ。「や〜き芋〜」の声が聞こえると、外に飛び出しています。
けれど、たいてい間に合いません。ゆっくりのはずの焼き芋屋さんの車は遥か彼方。
去年は4回、今年の秋は既に2回しくじっています。
焼き芋屋さんは、私を避けているわけではありません。
ただ、こちらに気づかずに、いつもの通りを巡っているだけです。
そして私は「気づいてほしかったよ」「待ってくれてもいいやん」「次いつ来るんよ」
と、心は砂の嵐です。

掴めそうで掴めない。いつも少しだけ遅れてしまう。

思い返せば、日常には同じような“あと少し”がたくさんありそうです。
信号が赤に変わる寸前に滑り込めなかった。
778円の支払時に小銭が777円だった。
今言いたかった一言を、他者に割り込まれて言い逃した。
準備していたカップラーメンのお湯が、線のところまであと3ミリ足りなかった。

どれも「残念」なのですが、
届きそうで届かないものに向けて、心はわずかに前のめりになることがあります。

この“前のめり”は、単なる焦りではなく、「動き出すための微かな傾き」です。
「前のめり」により、人の気持ちがかき立てられることがあるのだと思います。
“あと少し”の不足や空白をもとに、おそらく人間は想像し、補おうと行動するし、
満たされきらないことが、次の試行を生むのでしょう。
たとえば、誰かにもう少し気持ちを伝えたかったとき、その「言えなかった一言」が頭の中で
何度も反芻され、言えなかったからこそ、次にどう言おうかと考えるでしょう。
あるいは、「次こそは」と集中力を呼び起こすこともあるでしょう。

心理的には、この状態を「欲求の張力」とも言うそうです。
張りすぎれば苦しく、緩みすぎれば退屈で、
その間にある“わずかな不足”こそが、活力を保たせるということです。
だから私は、焼き芋を逃した夜も悪くないと思うようにしていきます。
19:55になったら、上着を羽織り、小銭をポケットに入れ、
「また来るかもしれない」と耳を澄まし、
「気づかれるかな」「間に合うかな」「またしくじるかもしれないな」と、
その期待のジレジレを味わって、
この秋は、完全ではないことを、少しだけ面白がれるようにしていこう。
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